認知症の両親がいる時の不動産相続対策!遺言・家族信託・成年後見を解説
2025.05.11
親が高齢になり、認知症の兆しが見え始めると、不動産の管理や相続の問題が現実的な課題になります。
認知症の人が相続人や被相続人となると、遺産分割や財産管理が困難となります。特に実家や収益不動産などを所有している場合、本人が判断能力を失ってからでは、口座凍結のほか、売却や名義変更といった重要な手続きができなくなる可能性もあります。こうした事態を防ぐためには、事前の対策が不可欠です。
本記事では、認知症に関する相続の問題点と、円滑な相続を実現するための対策を詳しく解説します。
▼この記事の内容
●認知症とは、様々な病気によって脳の神経細胞が変性し認知機能が低下することで、日常生活に支障を来す状態を指す。日本では、高齢化社会の進展とともに認知症患者数が増加しており、2030年には約523万人、2060年には約645万人になると推計されている。
●認知症を発症すると、生活上・法律上・財産管理上のトラブルが予想される。
●被相続人(親)が認知症の場合、遺言書の作成や生前贈与が無効となる可能性があるが、それ以外は通常の相続と変わらない。
●認知症の相続人がいる場合、遺産分割協議が進められず問題が生じる可能性がある。遺産分割協議が完了しないと、共有不動産の売却・活用の大きな障害になり、預貯金の払い戻しが制限され、相続税の軽減措置の適用もできない。
●認知症の相続人がいるときの対策としては、公正証書遺言書を作成する、生前贈与をする、家族信託を利用するなどがある。
目次
増加する認知症と社会への影響
日本では、高齢化の進展とともに認知症者数も増加しており、社会への影響も深刻になっています。まずは、認知症に関する基礎知識と、認知症の社会への影響について簡単に解説します。
認知症とは

認知症とは、加齢や病気などにより脳の神経細胞の働きが低下し、記憶力や判断力、理解力、思考力といった認知機能が持続的に障害され、日常生活に支障をきたす状態を指します。
認知症は、単なる「加齢によるもの忘れ」とは異なり、認知機能が低下していること自体に自覚がないケースも多く、生活や社会活動に大きな影響を及ぼすのが特徴です。
認知症の症状は大きく分けて「中核症状」と「周辺症状(BPSD)」に分類されます。中核症状は脳の神経細胞の損傷によって起こるもので、記憶障害、見当識障害、実行機能の低下などがあります。一方、周辺症状には、幻覚、妄想、不安、徘徊、暴言暴力などがあり、本人のストレスや環境変化によって表れることが多いです。
認知症は単一の病気ではなく、さまざまな原因によって引き起こされる症候群であり、発症している症状によって対処法も異なります。発症の予防や進行の遅延には、早期の診断と適切な支援が重要とされており、家族や社会の理解と協力が欠かせません。
増え続ける認知症患者数
日本では高齢化の進行とともに、認知症患者数が年々増加しています。厚生労働省の推計によると、65歳以上で何らかの介護・支援を必要とする認知症の人は、2030年には約523万人、2060年には約645万人になると推計されています。
軽度認知障害(MCI)を含めると、認知機能に何らかの問題を抱える高齢者の割合はさらに増加します。このような状況は、個人や家族にとっての介護や医療の問題だけでなく、社会全体の大きな課題でもあります。
特に認知症が進行すると、自分の財産や契約内容を正しく把握・判断することが困難になるため、不動産の売却や遺産分割協議などの法律行為ができなくなるケースが増えています。その結果、相続対策が間に合わず、家族が不動産を有効活用できないまま放置されるといった問題も発生します。
これからの社会では、認知症を正しく理解し、予防と早期対策を進めるとともに、法律的な備えも重要視される時代となっています。
認知症の4大疾患
認知症は一つの病気ではなく、複数の疾患によって引き起こされます。その中でも特に発症率が高く、代表的とされるのが認知症の4大疾患です。具体的には、①アルツハイマー型認知症、②脳血管性認知症、③レビー小体型認知症、④前頭側頭型認知症の4つです。
①アルツハイマー型認知症
もっとも患者数が多く、全体の60〜70%程度を占めます。脳内にアミロイドβなどの異常タンパク質が蓄積し、神経細胞が徐々に壊れていくことで記憶力や判断力が低下します。進行はゆっくりですが、治療法は確立しておらず、早期発見とケアが重要です。
②血管性認知症
脳梗塞や脳出血など脳の血管障害によって発症します。症状は出血部位により異なり、まだら認知(症状の波がある)や感情の起伏が特徴です。
③レビー小体型認知症
レビー小体と呼ばれる異常なタンパク質が脳内を中心に蓄積され、神経細胞が破壊されるレビー小体病が原因となり発症する認知症です。幻視や手の震え、歩行障害などをともなうのが特徴です。
④前頭側頭型認知症(ピック病など)
人格の変化や感情のコントロールが難しくなるタイプで、比較的若年層に発症することもあります。反社会的な言動や行動が目立つことから、初期には精神疾患と誤診されることもあります。
これら4大疾患は、症状や進行の仕方が異なるため、正確な診断と個別に対応した支援が必要不可欠です。
認知症によって起こる生活上のトラブル
認知症が発症すると、認知能力が低下することにより生活にいくつものトラブルが生じます。ここでは、認知症によって起こる生活上のトラブルを紹介します。
徘徊などにより行方不明になる
認知症の進行によって特に多く見られるトラブルの一つが徘徊による行方不明です。本人は外出の目的があるつもりで家を出ても、場所や時間の感覚が失われているため、帰宅できなくなることが頻発します。例えば、過去に住んでいた家へ向かおうとしたり、買い物に出かけたまま道に迷ってしまったりするケースが典型です。
警察庁の統計によると、年間で1万8,000人以上の高齢者が「行方不明届」を出されており、その多くが認知症患者とされています(※)。中には数日後に保護される人もいますが、不幸にも事故や衰弱死に至るケースもあるでしょう。
また、徘徊は家族の生活にも大きな影響を与えます。常に目を離せないストレスから介護者が疲弊し、介護離職や共倒れに至るケースもあります。防止策としてはGPS機能付きの靴や携帯端末の活用、自治体の見守りネットワークへの登録などがありますが、すべてのケースに対応できるとは限らず、日常的な見守りと地域との連携が欠かせません。
ゴミ屋敷などのセルフネグレクト(自己放任)

認知症が進行すると、本人が自分の健康や生活環境に対して適切な管理ができなくなるセルフネグレクト(自己放任)の状態に陥るケースがあります。その結果、ゴミ屋敷化や不衛生な生活環境の放置、食事や入浴の拒否といった深刻な問題が生じます。
ゴミの収集日が分からなくなったり、物を捨てる判断ができなくなったりして、不要な物が室内に積み重なり、悪臭や害虫発生の原因となります。冷蔵庫の中に賞味期限切れの食材を保管し続けるなど、食中毒や感染症のリスクも高まります。
セルフネグレクトは、本人が問題を自覚していないため、周囲の介入が難しい点にあります。近隣住民が異臭や異常を訴えて発覚するケースも多く、近隣トラブルの原因となるだけでなく、対応が遅れると本人の健康や命に関わる事態になる可能性もあるでしょう。
高齢者虐待を受ける
認知症の高齢者が家族や介護者などから虐待を受けるケースも深刻な社会問題です。虐待には、身体的暴力だけでなく、言葉による暴言や人格否定、必要な介護を意図的に行わないネグレクト(介護放棄)、年金や資産を勝手に使う「経済的虐待」なども含まれます。
認知症によって言動が不安定になると、介護する側がストレスを感じやすくなり、感情的に対応してしまうことが虐待の引き金になることもあります。例えば同じ質問を繰り返されて怒鳴ってしまう、食事や排泄の介助に疲れ暴力的になるなど、介護の負担が大きいほどリスクも高まります。
さらに、虐待は家庭内で起きることが多く、外部からは気づかれにくいのが実情です。被害を受けていても、認知症の進行によって状況を説明できない、あるいは虐待と認識していないこともあります。高齢者虐待防止法により、発見者には通報義務が課されていますが、発覚に至らないケースも一定数あるのが実情でしょう。
また、認知症による判断力低下によって、振り込め詐欺のような悪徳業者による詐欺被害が拡大しているのも社会問題です。
認知症によって起こる法律上のトラブル
認知症の影響は、日常生活だけでなく様々な契約などに関する法律上のトラブルも引き起こします。ここでは、認知症によって起こる法律上の問題を解説します。
認知症の人は法律行為ができない
認知症が進行し、判断能力が低下すると、契約や財産管理に必要な意思能力が欠けるため、法律行為ができなくなります。法律行為とは、不動産の売買契約や遺産分割協議、贈与、遺言作成などの重要な意思決定をともなう行為を指します。意思能力がなければ、法律行為において本人の意思が適切に反映されていないとみなされ、法的に効力が認められなくなる場合があります。
認知症の高齢者が自宅を売却しようとしても、相手側の不動産会社や司法書士が「意思能力に疑義がある」と判断すれば、取引が中止されたり、契約が後に無効とされる可能性があります。また、認知症発症後に書かれた遺言書も、意思能力の有無によっては無効とされる恐れがあるでしょう。
このような事態を避けるためには、本人がまだ元気なうちに、公正証書遺言を作成する、家族信託を利用する、任意後見契約を結んでおくなど、将来を見据えた法律行為の準備を進めておくことが重要です。判断能力が失われてからでは、法的にできることは大幅に制限されてしまいます。
認知症の人がした契約は無効
認知症によって意思能力が著しく低下している状態で交わされた契約は、原則として無効または取り消し可能とされます。これは民法第3条に「意思能力のない者がした法律行為は無効」と明記されているためで、たとえ形式上は契約書に署名・押印がされていても、後から契約が無効と判断される可能性があります。
例えば、認知症の高齢者が訪問販売で高額な商品を購入したり、不動産の売却契約を締結したとしても、その契約時に意思能力がなかったことが証明されれば、その契約は無効または取り消しの対象となり、法的な効力を失います。
これは悪徳商法などから本人を保護するための措置ともいえますが、実際に契約を無効にするには、裁判などの手続きにより意思能力の欠如を立証する必要があり、時間と手間がかかるケースも多くあります。
家族による代理も認められない

「認知症になった親の代わりに、家族が代理で手続きできる」と考えている人も一定数いるかもしれません。しかし、法的には家族だからといって勝手に代理人になることは認められていません。たとえ親が認知症で意思表示ができない場合でも、正式な権限がなければ、親の財産を処分したり契約を締結したりできません。
例えば認知症の父親に代わって子どもが自宅を売却しようとしても、父親からの法的な代理権限(委任状など)がなければ、契約自体が無効となります。さらに、認知症によって意思能力がないと判断されれば、委任状の作成自体が無効とされる可能性が高くなります。
こうした状況に備えるためには、本人がまだ意思能力を持っているうちに、「任意後見契約」や「家族信託契約」を結ぶなどの法的手続きを取っておくことが重要です。これにより、将来的に家族が法的に財産管理を行える体制を整えられます。
また、すでに意思能力を失ってしまった場合には、家庭裁判所に申し立てて「成年後見人」を選任してもらう必要があります。後見人が就任すれば、裁判所の監督のもとで契約や財産管理が可能になります。いずれにせよ、早めの備えが不可欠です。
認知症によって起こる財産管理上の問題
認知症が発症すると、当人の財産管理においても様々な問題が生じます。ここでは、認知症によって起こる財産管理上の問題について紹介します。
認知症が進行すると銀行口座が凍結される

認知症が進行し、本人に意思能力がないと判断されると、金融機関はその人の銀行口座を凍結する対応を取ることがあります。これは、本人の意思で正しく取引できない状態にあるため、不正な出金や第三者による悪用を防ぐための措置として行われます。
銀行口座が凍結されると、預金の入金や引き出しができなくなり、資産を本人や家族が自由に動かせなくなります。家族が代わりに預金を引き出そうとしても、銀行側は「法的代理権があるか」を確認します。たとえ実の子どもであっても、正当な代理権限(任意後見契約や家族信託など)がなければ、基本的に家族が勝手に預金を引き出すことはできません。
2021年には全国銀行協会が「本人の判断能力が低下・喪失していても、医療費や介護費など本人の利益に適合すると明らかな場合は、親族からの払い戻しの依頼に応じうること」との新しい方針を示しましたが、これはあくまでも指針であり、個別の金融機関が応じてくれるとは限りません。
以上のように、銀行口座の凍結は本人の財産を守るという観点からは適切な対応ではあるといえるものの、入院費や介護費の支払いができなくなるなど、家族の生活に直接的な支障をもたらすケースも多いでしょう。銀行口座が凍結された場合は、成年後見制度を利用して対処するしかありません。
不動産の管理・売却ができなくなる
認知症を発症し、本人が十分な判断能力を失ってしまうと、不動産の売却や管理行為ができなくなるという大きな問題が生じます。たとえ相続人である家族が、親のために売却して介護費用や施設入居費用に充てたいと考えても、本人が契約に同意できない状態では、法的に不動産の売買契約が成立しません。
また、不動産の管理においても、賃貸契約の更新・解除、建物修繕の発注、税金の支払いなど、様々な手続きが本人の名義で必要になりますが、認知症で意思能力を欠いていると、それらの判断や署名が無効とされる恐れがあります。この結果、不動産が空き家になってしまい、固定資産税だけが発生し続ける、老朽化が進んで近隣トラブルになるなど、社会的な問題にもつながる可能性があります。
詐欺被害に遭いやすくなる

認知症の進行により、判断力や記憶力が低下すると、詐欺被害に遭うリスクが著しく高まります。
高齢者を狙った特殊詐欺や訪問販売などの被害は後を絶たず、なかでも認知症の人は被害にあってもそれを自覚できなかったり、家族に報告しなかったりするため、事態が発覚するのが遅れることが多いです。
対策としては、日常的な見守り体制の整備や、成年後見制度・家族信託などによる財産管理の代行が重要です。また、詐欺被害防止のために、自治体や警察の見守りサービス、通話録音機能付き電話の導入なども効果的です。家族が情報に敏感になり、早期に対応することが被害防止の鍵となります。
認知症の被相続人(親)が所有する不動産の相続問題
不動産を所有している親が認知症となり、被相続人として相続を迎える時には様々な問題に直面することとなります。
ここでは、認知症の被相続人が所有する不動産における相続問題について解説します。認知症の親が所有する不動産については、以下の記事も参考にしてください。
認知症の親御さんの不動産を売却する際の注意点!成年後見制度と売却の流れ
認知症発症後の遺言や生前贈与の効力

認知症を発症した親が遺言書を作成したり、生前贈与を行った場合、その法律行為が無効となる可能性があるため注意が必要です。
法律上、遺言や贈与といった重要な契約行為には、意思能力が必要とされています。意思能力とは、その行為が何を意味し、自分にどのような影響を与えるのかを理解・判断できる能力を指します。
もし、認知症によってこの意思能力が失われている状態で遺言書が作成された場合、その遺言は無効と判断される可能性が高くなります。たとえ形式が整っていたとしても、当時の本人の精神状態や医師の診断内容、周囲の証言などをもとに無効が主張されることがあります。
生前贈与についても同様で、認知症が進んでいて贈与の意味を正確に理解できていなかった場合、後になって無効とされるリスクがあります。とくに高額な不動産や金融資産の贈与は、他の相続人とのトラブルにつながりやすく、相続争いの火種となることもあります。そのため、認知症の兆候が見えた段階で、公正証書遺言や信託契約など、証拠性が高く確実な手段を講じておきます。
遺言書や生前贈与以外は一般の相続と同じ
認知症の親が亡くなった場合でも、遺言書や生前贈与がなければ、相続手続きは通常のケースと同様に進められます。民法の規定にしたがって、法定相続人による遺産分割協議が行われ、不動産を含む財産をどのように分けるかを話し合う形になります。
認知症であったこと自体は、相続手続きそのものには直接の影響を与えません。重要なのは、認知症になる前に遺言や贈与などの財産処分をしていたかどうかです。それらが存在しなければ、親の死亡によってその財産は法定相続人に相続されるため、一般の相続と変わりません。
認知症の親が所有していた実家や賃貸アパートなどの不動産も、相続人全員の共有財産となり、遺産分割協議によって「誰が引き継ぐか」「売却するか」などを決定する必要があります。話し合いがまとまらない場合は、家庭裁判所での調停に発展するケースもあります。
認知症であったことが相続財産の取り扱いを一変させるわけではありませんが、事前の法的準備がされていないと、相続人間のトラブルが起きやすくなるのは事実です。生前の段階から、遺言書の作成や家族での意見共有を行い、円滑な相続に備えることが望まれます。
認知症の相続人がいる場合の不動産相続の問題
遺産を受け継ぐ側である相続人のなかに認知症がいる場合、相続の際に様々な問題が発生します。
ここでは、認知症の相続人がいる場合の不動産相続の問題について解説します。不動産相続の流れや経費については、以下の記事も参考にしてください。
遺産分割協議が進められない

認知症の相続人がいる場合、相続人全員で行うべき遺産分割協議が進められないという大きな問題が生じます。
遺産分割協議とは、亡くなった人が残した財産を誰がどのように相続するかを、法定相続人全員の合意によって決める手続きです。しかし、認知症によって意思能力が低下している相続人は、自分の意思で合意できず、法的に「協議に参加する能力がない」とみなされます。
このような場合、認知症の相続人の代わりに家庭裁判所に成年後見人の選任を申し立てる必要があります。成年後見人は、本人の法的代理人として協議に参加しますが、その判断は「本人にとって不利益ではないか」を慎重に審査されます。他の相続人にすべての財産を譲るような内容であれば、後見人が同意することは難しく、遺産分割協議が成立しない恐れもあります。
認知症の相続人がいると、協議が長期化したり、家庭裁判所の手続きが必要になったりするため、不動産の名義変更や売却が遅れ、資産の活用ができない期間が生じるリスクがあるでしょう。事前に遺言や家族信託などを活用し、こうした問題の回避が望まれます。
認知症の相続人の署名や代筆の危険性
認知症の相続人がいる場合、その人が署名・押印を行えない状況で、家族や他の相続人が本人の代わりに署名・押印をしてしまうケースがあります。しかし、これは極めて危険な行為であり、法的に無効になるだけでなく、私文書偽造罪、偽造文書行使罪などに問われる可能性もあります。
遺産分割協議書には、相続人全員が自署・押印することが求められます。認知症の相続人が自ら内容を理解し、判断できない状況で署名した場合、それだけで協議書の効力が否定されるリスクがあります。さらに、仮に家族が代筆や代理で押印を行ったとしても、その行為が本人の同意にもとづかない限り、遺産分割全体が無効になる恐れもあります。
認知症の相続人が相続放棄する際の問題
相続人が認知症を患っている場合、その人が自らの意思で相続放棄を行うことは原則として不可能です。なぜなら、相続放棄は自分の権利を放棄する重大な法律行為であり、本人に十分な意思能力がなければ、その手続きは無効とされるからです。
認知症の相続人が負債の多い財産を相続することになり、他の家族が代わりに相続放棄の申述書を家庭裁判所に提出しようとしても、本人の同意なしでは受理されないのが原則です。意思能力がないと判断された場合には、まず成年後見人を選任し、後見人が本人の利益を考慮したうえで放棄手続きを行う必要があります。
後見人はあくまで本人の財産を保護する立場であるため、相続放棄によって不利益を被る可能性がある場合、放棄に同意しないケースもあります。また、後見人が放棄を行う際には、家庭裁判所の許可が必要で、一定の審査や時間がかかります。
このように、認知症の相続人が相続放棄を行うには、多くの手続きと時間が必要となり、簡単には進められません。相続財産に負債が含まれる可能性がある場合は、専門家への早期の相談と準備が極めて重要です。
成年後見制度を利用した遺産分割協議の問題点
遺産分割協議に認知症患者の相続人を参加させるには成年後見制度を利用するしか方法はありませんが、いくつかの問題点がある点に注意しなくてはいけません。
ここでは、成年後見制度を利用した遺産分割協議の問題点について詳しく解説します。
成年後見制度とは

成年後見制度とは、認知症や知的障害、精神障害などにより判断能力が不十分な人を法律的に保護し、本人に代わって法律行為を行う成年後見人を家庭裁判所が選任する制度です。特に遺産分割協議のような重要な財産に関する手続きでは、本人が自ら判断できない場合、法的な代理人である後見人がその役割を担います。
この制度には「法定後見制度」と「任意後見制度」の2種類があります。法定後見制度は、すでに判断能力が低下している本人について、家庭裁判所が審査のうえ後見人を選任する制度です。一方、任意後見制度は本人が元気なうちに契約を結び、将来判断能力が衰えたときに効力が発生する制度です。
成年後見制度においては本人の保護が最優先されるため、相続人同士の円滑な話し合いが難航するリスクもあります。しかし、遺産分割協議は相続人全員が参加しないと無効であるため、相続人の中に認知症患者が含まれている場合は成年後見制度を利用するしかありません。
家族が後見人になれないケースがある
成年後見制度では、家庭裁判所が後見人を選任しますが、希望しても必ずしも家族が後見人になれるとは限りません。たとえ親子や兄弟といった近しい関係にあっても、裁判所が「適切でない」と判断すれば、弁護士・司法書士などの第三者の専門家が後見人として選ばれるケースが少なくありません。
家族が後見人に選ばれない理由としては、相続人同士の利害関係があること、過去に財産管理で問題があったことなどが挙げられます。特に遺産分割協議では、後見人が他の相続人と利害が対立する恐れがあるため、中立性を重視して第三者が選ばれる傾向があります。
この場合、家族の意向や相続の話し合いが思うように進まなくなり、柔軟な対応ができないといったデメリットも生じます。また、本人の生活状況や希望を理解している家族が関われないことに対する不満や、後見人とのコミュニケーションの難しさもトラブルの原因となることがあるでしょう。
成年後見制度を利用する際は、事前に家族が任意後見契約を結んでおくことで、希望する人物を後見人に指名することも可能となるため、早めの備えが重要です。
成年後見人と本人との利益相反の可能性
成年後見制度において、後見人は本人の利益を最優先に行動することが法律で定められています。しかし、成年後見人と被後見人(認知症患者)がともに相続人となった場合は、利益相反となる可能性があります。
例えば、被相続人(亡くなった人)の妻が認知症を患っており、息子が成年後見人となっているケースを考えてみます。このような状況では、妻と息子は両者とも法定相続分を持つ相続人となりますが、後見人である息子は妻の利益を最優先しなければならない一方で、自身も相続人として自己の利益のために遺産分割協議に参加する権利を持っています。
このような状況では、後見人である息子が両方の権利を主張することになり矛盾が生じ、利益相反関係となってしまいます。このように、利益相反が生じた場合は家庭裁判所が「特別代理人」の選任を命じることがあります。
特別代理人は、利益相反を回避するために後見人の代わりに一時的に協議を行う人物で、通常は司法書士や弁護士などが選ばれます。これにより法的な中立性は確保されますが、申立て手続きや審査に時間がかかるうえ、相続手続きがさらに複雑化・長期化する要因となります。
成年後見人への報酬負担
成年後見制度を利用する際、後見人にはその業務に対して報酬が支払われるのが一般的です。特に家庭裁判所が選任する専門職後見人(弁護士、司法書士)の場合、毎月数万円から、財産が多い場合には年間数十万円以上の報酬が発生することがあります。
この報酬は、原則として本人の財産から支払われるため、介護費用や医療費、生活費などに充てる予定だった資金が後見人報酬に充てられると、生活に影響が出る可能性があります。高齢の本人が年金とわずかな預貯金しか持っていない場合、報酬の継続的な負担は重く、相続人が実質的に立て替えるようなケースも見られます。
後見制度は本人の権利保護には有効ですが、その反面、費用面・手間・自由度の低さという現実的な負担もともないます。
法定相続分で分割する場合のリスクと課題
相続人のなかに認知症患者が含まれており、遺産分割協議が長引きそうな場合には法定相続分にしたがって遺産を分割する方法も考えられます。しかし、法定相続分で分割する場合は、以下のようなリスクと課題があるので注意しましょう。
不動産の共有は売却・活用の大きな障害になる

遺産分割を法定相続分どおりに行った場合、不動産は相続人全員の共有名義になることが多くなります。しかし、不動産の共有は、その後の売却や賃貸、建て替え、リフォームといった活用を行ううえで大きな障害になる可能性が高いといえます。
不動産を売却する場合、共有者全員の同意が必要です。たとえ1人でも反対すれば売却は成立せず、意思が合わないことが原因で不動産を有効に運用できず、「塩漬け状態」になるケースもあります。また、物件の入居者様との賃貸借契約や建物の改装などは、共有者の過半数の合意が求められ、手続きが複雑化します。
共有者の1人が亡くなると、2次相続が発生し、その持分が次の相続人(孫や親族など)に引き継がれることで、権利関係が複雑化し管理不能になるケースもあります。
預貯金の払い戻しに関する制限
相続が発生すると、被相続人の名義の預貯金は金融機関によって凍結され、原則として相続人全員の同意がなければ払い戻しができなくなります。
法定相続分で分割するという前提であっても、実際には遺産分割協議書や家庭裁判所の調停調書が必要になることが多く、迅速な資金引き出しは難しいのが実情です。
ただし、2019年の民法改正により、一部例外として「預貯金の仮払い制度」が創設されました。これは、相続人が単独で一定額を引き出せる制度で、法定相続分の3分の1を上限に、最大で150万円までの払い戻しが認められています。しかし、この金額では葬儀費用や入院費、税金などの支払いには足りない場合も多いのが現状です。
認知症の相続人がいる場合は、解決に非常に時間がかかるため、生前の段階から資金の分配や管理方法について準備しておくことが重要です。
遺産分割協議がないと相続税の軽減措置が適用できない
法定相続分にしたがって相続がおこなわれると、相続税の軽減措置が適用できずに相続税負担が大きくなる恐れがあります。
相続税の計算においては、「配偶者の税額軽減」や「小規模宅地等の特例」など、重要な軽減措置が複数用意されています。これらの制度を適用すれば、相続税の負担を大幅に軽減することが可能ですが、前提として「遺産分割協議が完了していること」が必要です。
例えば「配偶者の税額軽減」は、配偶者が法定相続分または1億6,000万円までの財産を相続した場合、その金額までは相続税が非課税になります。しかし、誰がどの財産を相続するのかが確定していなければ、税務署はこの特例の適用を認めてくれません。
税務上のメリットを最大限に享受するには、早期に遺産分割協議を整え、確定した財産の分配内容を明らかにすることが不可欠です。
認知症の相続人がいるときの対策
認知症の相続人がいる時の対策としては、主に以下の3つが挙げられます。
●公正証書遺言書を作成する
●生前贈与をする
●家族信託を利用する
それぞれについて、制度の概要やメリット・注意点などについて詳しく解説します。
公正証書遺言書を作成する

認知症の相続人がいる場合に備える対策の一つとして、公正証書遺言の作成は非常に有効です。遺言書は、被相続人が亡くなった後の財産の分配方法を事前に指定することで、遺産分割協議の必要性を減らし、相続人間のトラブルを回避する手段となります。遺産分割のトラブルを回避するために、認知症を発症する前に公正証書遺言を作成しておくのが推奨されます。
公正証書遺言があれば、相続人全員の同意を必要とせずに遺産分割協議を省略できるため、認知症の家族が相続人に含まれる場合でもスムーズな相続が可能になります。
公正証書遺言は、公証役場で公証人が関与しながら作成されるため、形式や内容の不備による無効リスクが少なく、証拠力が高い点が大きなメリットです。認知症の疑いがある親が自筆で遺言書を残した場合、その有効性が争われることもありますが、公正証書遺言であれば、公証人が作成時に意思能力を確認するため、法的な信頼性が高まります。
生前贈与をする
将来、認知症の相続人が含まれることを見越して、生前贈与によって財産を前もって移転しておくことも有効な対策の一つです。生前贈与を行うことで、相続発生後の財産分割を簡素化し、相続人の判断能力が不十分でも、遺産分割を経ずに財産の管理・活用ができる状態を作れます。
例えば収益物件や実家の土地建物など、不動産に関する贈与を行っておけば、贈与された人が生前からその不動産の名義人となり、相続時に共有名義や争いを避けることが可能です。また、相続開始前に財産を移しておくことで、認知症の家族が相続に関わる必要がなくなるため、成年後見制度を使う手間や時間も削減できます。
生前贈与には贈与税の課税リスクがあるため、110万円の基礎控除を活用して少しずつ贈与する「暦年贈与」や、「相続時精算課税制度」の活用など、税務上の戦略をしっかり立てる必要があります。被相続人が認知症を発症すると贈与契約自体が無効となるため、税理士などの専門家に相談のうえ早めの実行が鍵となります。
生前贈与による相続税対策などについては、以下の記事も参考にしてください。
ご生前に行う相続税対策とは? 賃貸不動産の認知症・遺産分割・節税・納税資金対策
家族信託を利用する

近年、認知症リスクへの備えとして注目されているのが家族信託の活用です。家族信託とは、財産の所有者(委託者)が、信頼できる家族(受託者)に資産の管理・運用・処分を任せる仕組みです。家族信託を利用すれば、本人の判断能力が低下してもあらかじめ定めた内容に従ってスムーズな財産管理が可能になります。
親が所有する不動産や預貯金を、元気なうちに信託契約によって子どもに託すことで、親が認知症を発症した後も、成年後見制度を使わずに財産の売却や賃貸、修繕、支出などの柔軟な管理ができます。これにより、実家の売却やアパート経営の継続なども滞りなく進めることが可能です。
家族信託は「遺言」「成年後見」「生前贈与」の機能を一部兼ね備えており、裁判所の関与が不要であるなど制度上の自由度が高く、家庭の事情に合わせた設計ができる点が魅力です。認知症の相続人が将来出る可能性がある場合には、事前に信託契約を結んでおくことで、複雑な法定手続きやトラブルを回避できる効果的な手段となります。
信託契約は法的な知識が必要なため、信託に精通した専門家に相談しながら導入することが望まれます。
まとめ

本記事では、被相続人が認知症であった場合の問題や、認知症の相続人がいる場合に生じるトラブルとその対処法などについて詳しく解説しました。
認知症の相続人がいる場合のトラブルを未然に防ぐには、早い段階から「遺言書の作成」「生前贈与」「家族信託」などの対策を講じる必要があります。それぞれにメリット・デメリットがあるため、状況に応じた対策を検討し、専門家と相談しながら相続の準備を進めましょう。
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この記事を書いた人
秋山領祐(編集長)
秋山領祐(編集長)
【生年月日】昭和55年10月28日。
【出身地】長野県上田市。
【趣味】子供を見守ること。料理。キャンプ。神社仏閣。
【担当・経験】
デジタルマーケティングとリブランディングを担当。
分譲地開発のPMや家業の土地活用などの経験を持つ。
リノベした自宅の縁の下に子ども達の夢が描かれている。